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同じ場所にいけるだなんて都合の良い事、そもそも最初から、信じていないけれど。 [番外編]

此方は浅海由梨奈さんのみ、お持ち帰り・転載可能です。



親友を殺した日

登場人物:名前を忘れた男 とある狂人
(別の意味で閲覧注意)










今にも落ちてきそうな空の日
理不尽な死に倒れた亡骸の前に二人の男がいた
一人は、亡骸に縋りつき泣きじゃくった
一人は―――――――――――――



親友を殺した日



白い壁に囲まれた無機質な病室、簡素なベッドに足を投げ出して座っていた男は、鉄格子の嵌った窓から庭木の所為で半分も見えない外を眺めている。なんの代わり映えのしない、一年中同じ、強いて言うなら自分の妄想の所為で歪んで見えるか、捻くれて見えるか、その差しかない平坦な外の風景を。次第に飽きてきたらしく、ばったりそのまま突いていた腕を解き、枕に頭を埋めた。灰色に煤けて見える天井では、空調用のファンがくるくる一定隔離で回っており、一回、二回、と男はそれを数える。瞬きをしたら最初から。
時計の秒針の無い部屋。長い時間も短い刹那も男には何の意味も無い、ただ無益に、怠惰に、昼夜も無い灰色の空間を漂っているだけで。どれぐらいそう過ごしていただろうか、がんがん、と男の独房ともいえる病室の扉を叩く耳障りな音が、ゆるりと頭を上げる。惚けた耳ではその音が一体何だったのかすら思い出すことが出来ず、注射を打ちに来る時の慌しさのない白服が、ただ一言「面会だ」と、もとより会話をする意思のない語調で再び扉を閉めた。はて、今日は第二か第四土曜日なのだろうか。しかし、それ以外に男に会いに来る人間はいない。
普段と違う出来事にぼんやり長考を始めた男の扉へ、防音処理のされた壁から遠くなった聴覚の代わりに敏感になった触覚へ、足早な振動が伝わり、ああ、そういえばそういうものだった、一人頷く。ぎいい、もっと乱暴に開けても誰も怒りはしないというのに、そんなところまで全く変わっていないことに体を起こす。特徴的な量の多い黒髪、煙草のにおい、金の瞳に痛みの色を滲ませた彼は白服に一瞥した後、丁寧に扉を閉めた。腕に巻かれた銀色のそれは時計、ああ、なんて懐かしいのだろう、昔は時計が大嫌いだったというのに。
「痩せたな、エドワーズ」
最後に会ったのはどれほど昔だっただろうか、忘れ果てた時間では解らないが、自分達はあまりにも遠くに来てしまったことだけは理解出来る。元は体格の良い方だったというのに枯れ木のようにやせ細って、強い光をたたえていた筈の瞳は膜が被ったようだが、彼が見ている顔は確かにあの日と同じだというのに、何故だか目の前に居る男が自分の知る男とは全く別の少しだけ似ただけの何かに見えて、正体の解らない違和感に彼は悩む。何か言葉を発しなければならないというのに、何の言葉も沸いては出ず、此処に来る時は何を話そうかあれほど考えていたというのに、全て忘れてしまった。
「お前こそ随分やつれたじゃないか、マーティン」
ふざけた調子で肩を竦めて見せる親友に、骨の浮いた肩、今にも開いて血を流しそうな傷痕は見るからに痛々しいものだったが、マーティンと呼ばれた男は安心したように眉を緩める。普段の面会なら監視員が付くというのに、きっとこういう時だけは抜け目無い彼のことだ、何枚か握らせたのだろう。白く塗装されてはいるが所々剥げた場所から茶色が滲む部屋に眉を潜める、エドワーズと呼ばれた男は、まあ座れ、と部屋に唯一ある家具の椅子を蹴り出す。クッションも無くずっと座っていると尻が痛くなってくる代物だが、無いよりはマシだ。
粗末な寝間着の上からシーツを体に纏って、尻が痛くなるであろう危険を早々に察知したマーティンに、エドワーズはエスコートが必要だったか? と、軽口を叩く。変わらないそれに苦笑しながら椅子に腰掛けると、がったん、足の片方の長さが足りずに椅子がバランスを崩し、体が斜めになってしまう。猫背の彼にとってはこれは無い方が良いのではないか、だからといって友の好意を無碍にするのは如何か、思考し始めるマーティンに、その思考を読み透かして「好きなだけ立つがいいさ」とエドワードが笑う。昔からこう、どういった関係になっても、変わらずにこうだった。
「そっちの名前で呼ばれるのも随分だ、なんだかテレる」
「お互い様だろう、俺も普段はM-E-4928だからな」
ふと浮かべた表情はまるで郷愁、酷く、遠く遥かな故郷に思いを馳せる。その顔に哀愁の色もまた滲むのは、その故郷に帰ることが出来ないから、なんて顔をしている、とその表情にまるで瓜二つの表情を浮かべたマーティンは、エドワーズにそう言う事しか出来なかった。立ち上がる、またバランスを崩した椅子ががったん、と揺れて、どこかのネジが外れたのか赤錆が零れる。目線を合わせようともせず、話し始めもしない男にまた彼は違和感を覚えた。前はこうして同じ場所に居るだけで話し始めたものだというのに。前、とは何時だったのか。
光の加減で濃い紫色の見えた髪は今や襤褸の古糸の方がまだまともな程ほつれ、痛みきっていて、ベッドに腰掛けているから目線が下にあるのだと知りながら、一回りも二回りも小さく感じる。明るいはずの部屋は無機質さからだろうか、どうしても薄暗く感じて、恐らくはもうあの発色を出すことは出来ないだろうが、あの髪の色は見れない。自分に向けられる視線に気が付いたエドワーズは顔を上げ、彼と同じ様に、なんて顔をしているんだ、と溜息を吐く。仮にも親友に哀れみを向けてしまった非礼を詫びようとするマーティンに、いや、いい、とそれを遮る。男はもう慣れ切っていた。
「こんなになっても、息子は会いに来てくれるんだよ……最高の、孝行息子だと思わないか?」
「まったくエドワーズさんちのおぼっちゃまとは思えない」
隔離病棟にまで会いに来てくれる愛息子、少し夢見がちだが芯は強い、マーティンも彼には陰ながら随分と助けられ、感謝の気持ちを惜しむつもりはない。冗談を言うと、思いの他真剣に肯定された。年々若い頃のエドワーズにそっくりになっていく息子は、父のことを英雄の様に慕い、父と同じ職についたことを誇りに思って職務をこなしてくれる。当の大人達はこんな有り様だというのに。物思いに耽るのは時間を忘れた者だけでいいというのに、目を伏せた彼を立ち直らせようとしているのか、エドワーズから切り出す。
「今更俺みたいな古靴になんの用事なんだ?」
僅かに渋られる。用事が無ければ来てはいけない道理も、関係でもないが、この病院に収監されて以来マーティンは一度もエドワーズに会いに来ることも、手紙を出す事もしなかった。だが、あえて男は彼を責める気にはなれない、文字通り、底に穴の空いた古靴は捨てられるのみ、持ち主の足を包めないのなら用済みなのだと、他でもないエドワーズ自身がそう考えていたからだ。忘れ去るなら忘れ去ってくれて良い、懐かしさに全てを熔かし尽くし、流して、見えなくしまえば良い。泥と黴、埃に塗れたそれを手に取れば、手が汚れてしまう。
互いをこれ以上互いの無様な姿を見ないように、穢さないようにあえて距離を離す。離し合う。どうにもならないことを知ってしまった者同士の唯一の対処法、だから最愛の彼女も来ない。なら最高の孝行息子は、ある意味最悪の親不孝者なのか。そんな彼がある日突然、連絡も無くやって来ては、何か理由があるのだろう。渋る様子は確信だ、体に巻きつけるシーツを一際強く体に巻きつけて、突如として走った脊柱への衝撃を妄想だと言い聞かせて耐える。マーティンの唇が動く。しかし、今度に限ってはその気の所為は、気の所為であってはくれず、骨と筋だけになった体が倒れ、もんどりうってのた打ち回った。
急いで医者を呼ぼうとする腕に、無数の裂傷とネジ痕、焼き鏝の痕が残った力と呼べる力もない腕が掛かり、手首を大きく横断した傷で遮る。それは面会の終了を意味するものだ、放っておけば直ぐに良くなるから安心しろ、とベッドの上に横たわってゆっくり体を丸める悲壮感漂う様子に、彼は悲痛な表情で眉を寄せた。シーツを体に巻きつけたのは、マーティンに痛みを与えない為、彼はこうしてエドワーズが苦しむ度に自分も同じ様に苦しむ。は、は、と荒い息を吐いて体を整える男の背を摩る手は、微かに震えて覚束ない。聞き取れなかったことを謝ると、悲鳴に似た息が聞こえる。
「覚えているか、俺とお前と…………『あいつ』とで、勝手に家庭科室借りて料理作った日のこと」
聞かせることの出来なかった用事の代わりに語られたのは、忘れるはずもない、古く輝いた思い出。在学時代にかなり腹が空いたが三人の内誰も昼食の用意をしていなく、気が付いた時間帯が遅かったこともあり購買も空、帰るまでこの空腹を持て余すのかと思い悩んでいた時、…………が家庭科室の鍵を持って来て、あそこにある調理実習用の食材の余りと調理器具を拝借して、何か食べるものを作ってしまおう、と、悪戯に笑った。調理師志望だからと先陣を切ったのはエドワーズだったというのに、…………の方がずっと料理が美味くて。最後バレそうになった時、学級委員長だったマーティンが誤魔化して、半分押し付けられた役職に少し感謝したり。
互いに返事をする事は出来なかったが、確かに互いの夢想は同じで。それ以上を思い出す事は出来なかった。思い出してしまえば、彼は親友を狂気へ堕としてしまったように、男は正義の御旗の元に血に塗れてしまったように、気高い…………を穢してしまう気がして。そして何より、思い出す事が出来なかった、あまりにもあの頃が眩しすぎて、遠すぎて、物悲しすぎて、ちゃんと『綺麗なだけ』ではないものは一欠片も残っていてはくれない。シーツに塗れた背を摩りながら、男とお揃いになった赤い指の間からこぼれ落ちていった砂の量を考えて、激しい咳の後、擦れた声でエドワーズは呟く。
「お前はモテるだろう? 辛いなら、所帯でも持て。結婚して子供でも作ってしまえ」
それはどうにもならない者が持つ、唯一の免罪符、の筈だった。背に触れる手が明らかに跳ねて、最早自分達は互いを慰めあい、傷を舐めあう事さえ出来ないのだと知る。思えばエドワーズがこんな劣悪な隔離病棟に身を置いているのは、自分の罪への贖罪としての自傷行為に程近い、マーティンが負わせてしまった狂気の灰。そもそも、こうして再び会うこと事態が過去の傷を晒し、抉り、見せ付け、痛みを植え付ける行為の他無い。何故なら、エドワーズもマーティンも、…………を見殺しにした戦犯者でもあり、見ていて何もしようとしなかった仇でもあり、共犯者なのだから。
肩に押し当てられた手にマーティンが何故こんな場所に今更やってきたのかをエドワーズは理解した、彼は別にエドワーズに特別何かして欲しかったのではなく、ただ傷を撫で合いたかっただけ、止まった時間の中なら傷付けられることはないと信じて。がんがん、面会時間の終了を告げるノックの音に顔を上げたマーティンは、財布を取り出そうとしてその腕を遮られた。罪に濡れて固まった腕は、思ったよりもずっと強い力で握られている。舐めあった傷はもう既に膿んで腐り、蛆の湧いて皮膚の浮いた液混じりの血液を押し付けては、傷は広がるだけ。止まった時間は傷の治りさえも止めてしまった。
「続きは……彼の世でしよう、あっちでなら時間は腐るほどあるんだ、今からネタの消費をすることもないさ」
「…………そうだな、エドワーズ」
暫く黙り込んだ後の返事は、この独房にやって来てからのどの言葉よりも凛として、止まってしまったエドワーズに彼の動く時間を僅かながら教える。お前の傷はまだ腐ってはいないのだから、ぼろぼろの骨でも砕けていない限りは立てる、べろべろに剥けた皮膚なんて役に立たない物は千切り取ってしまえ。ベッドの上から一人分の重さが消えて、ぎしりと音が鳴る。おそらくは、これが未来永劫の別れになる、とどちらともなく理解していた。今回のことはただ少し思い出の亡霊の夢を見ただけで、通り過ぎて消える。ただ、ほんの刹那、それだけだ。
「その名前、早く忘れろ」
返事は無いが、強く相槌を打ったことだけは解る。焦れた白服が柔らかいが脅迫的な物言いで扉を開け、追加のチップが無いことを知らされるやいなや、マーティンは半分引き摺られるように独房から連れ出されてゆく。ばたん、彼とは違う随分と乱暴な扉を閉める音と共に、独房はまた閉鎖された。エドワーズはずっと彼に言っていないことがあった、それは自分が何故こうして自分を閉じ込め続けるか、止まってしまった人間が近くにいては夢の為に積み重ねた死体が無駄になってしまう、と、マーティンをまた断頭台への押し上げる感情を持っていたから。また、ファンの回る回数を数える。
振り向けばきっと戻れなくなる、戻ってしまう、戻るわけには行かない、振動が遠ざかっていく、名残惜しむ様子もない、確かな物で。白い廊下に嫌に反響する足音と緑の廊下は、まるで死刑囚にでもなった気分だったが、マーティンはもうその足を止めることを迷わなかった。たった一つ言えなかったことがあった、それは、お前が止まっていようがなんだろうが関係無い、こうして姿を隠し続けなくても自分はちゃんと前へと進めるということを、もう一度笑い合って暮らしたかった、ということを。あの日、自分の種族を絶望しながら伝えてくれた…………へと言った、若い言葉に似たものを。
灰色の門前に立ち、両手で目を被った後、自分が何故こんな場所に居るのかとマーティンは妄想をした。目を隠す手を外す、知らない内に知らない場所へ来ていた、寝ぼけていたのだろうか、折角普段来ない所へ来たのだから帰りにお土産でも買っていこうか、何が良いだろうか、移動しながら考えよう、丁度良く自分の車はあそこにある、本当に随分と不思議な事があった物だ、そう、妄想をした。頭の中に一人の知らない人間の姿が見えた気がしたが、きっとこれも妄想、現に妄想しているというのに、上手くそれを現実と思い込めていないのだから。そして、きっと、直ぐに忘れる。現実ではないのだから。現実はこんなにも目まぐるしく、待ってはくれない。止まっていられない。

『オックス』は、死よりも早く、前へ進まなければ。
さようなら、と、言いかけた『それ』を震える奥歯で食い殺した。

今にも落ちてきそうな空の日
理不尽な死に倒れた亡骸の前に二人の男がいた
一人は、亡骸に縋りつき泣きじゃくった
一人は、空を仰いで名を呟いた。
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