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おっかねぇなぁ [日常編]

此方は浅海由梨奈さんのみ、お持ち帰り・転載可能です。



一方通行を完璧にしてみた

登場人物:ヨアヒム シャックル
モブ:針の頤
(帰り道→)
(入り口→)
(非常階段→)







一方通行を完璧にしてみた


ぴかぴかに磨かれた銀食器に一瞬映っていたそれは、背を向けた白髪に距離無く近付いた薄紫、弾かれたように『完璧で瀟洒な』位置に戻った家令は深夜の来訪者であるヨアヒムに向かい、そっと頭を下げた。続いて食器洗いをしていたシャックルが手を拭き、向き直る。銀食器にもう一度目を移しても、映っているのはぴかぴかの銀と、ただの味気無い天井だけで、ヨアヒムはわざとらしく口笛を吹く。
自分の背後で弟子が取っていた行動に気が付いていたのか、いないのか、命令を待つシャックルに普段と変わった様子はなく、完璧で瀟洒な家令は耳障りの良い言葉で挨拶をした。取り込み中か、と聞けば、当然の如く、いいえ、と返る。彼らに拒否権なんて無い。椅子の脚に足先を引っ掛け、チープなデザインのそれにヨアヒムは座った。大股を開いて行儀悪く大欠伸、手をしっしっ、と動かせばシャックルは命令の続きを許されたことを理解して、また流し台の相手を始める。
久々に二人揃って台所仕事が出来るのだから、と普段は家人達で分担してやる仕事をまとめて引き受けた所為で、それはもう山のように洗い物が嵩んでいるというのに、かちゃかちゃ等の食器同士が擦れる不快な音は殆どせず、換気扇が回る音だというのに音にしては馴染みすぎたぼんやりとしたそれだけが、青いタイル張りの壁に響く。かぁん、と高い音。二度、三度、見てしまった横顔が写っていたぴかぴかのスプーンでテーブルが叩かれる。布巾を畳んで置いた家令が振り返った。
「腹減った……ラーメン、ニンニクチョモランマ、チャーシュー増し増しーv」
最初からその用事で来たのだという風、ヨアヒムはにんまり笑ってスプーンで自分の口元をなぞり、注文を言いつける。スプーンで指された彼は、畏まりました、と深い礼をして、こんな突然の要求にもにこやかに応えてくれた。これによっておのずと全ての仕事がシャックルに回るが、今のヨアヒムは仕事疲れで最初からそれを気にしてやる余裕は無く、家令が手伝いを手放したということは特に問題は無いのだろう。
もう一目見てレシピが浮ぶのだろう、巨大な冷蔵庫を開けて迷うことも探すことも無く、家令は数秒で手早く材料を取り出す。青い容器に入っているのは自家製のラーメンスープ、辛目の味噌と生姜は疲れに効く、こういった気遣いが嬉しい。そして、ヨアヒムの好物の煮卵は何も言わなくても三つ、味噌味のものを。正に瀟洒。スープと具材と麺は用意してあるので、あとは茹でるだけで良しという、手が込んでるようで美味しく食べれて実は手抜きな辺りも正に完璧。
鍋の水が火に掛けられる。テーブルに頬杖を突いてぼんやりしていてもスプーンで暇潰しをすることには変わり無い、疲れていて、疲れの所為で虫の居所が悪くて、試しにこれをぶつけてみようかとヨアヒムは思ったが、そこまで外道になる勇気はない。どうせした所、やんわり窘められ、綺麗に片付けられるだけで、あの青い執事のような反応は期待出来ないのだから。金、家令のタイピンの端に付いた石が光る、瞳の色が変わり、彼は踵を返して厨房の外へと出て行ってしまった。
なんということはない、彼の主人が呼び鈴を鳴らしただけ、それに反応してタイピンが光り、早く来れば良し、来なければ頭の皮を剥がれるだけのこと。音も無く洗い物をしていたシャックルは、弟子から継いだ命令を忠実に遂行し始め、使用済みの布巾を籠の中に入れて沸騰した湯の前に立つ。あれにスプーンょ投げてみたら、そう、受け止められるだろう、そして弟子と同じ様にやんわり窘められ、綺麗に片付けられるだけ。スプーンを投げ出す。
ヨアヒムはまた欠伸をして、滲んだ涙を拭う。泡と湯気が立って濁ってみえる湯の中、黄色の麺が湯掻かれ、独特の匂いが厨房に漂った。それに混じる葱の香り。料理を、人の役に立つことをしている時のシャックルは実に楽しそうで、感謝されることを心地良く思うのは人として自然だが、そこには常人ではとても理解し難い大きな溝のようなものが見えて。立ち上がって勝手に冷蔵庫を開けたヨアヒムは、彼がラーメンを完成させるのを待たず、タッパから煮卵を取って食べる。その間十秒、ちょくちょく抓み食いをしていた為、置き場所は解っていた。
水粒が落ちる、それもたくさんの重さ、多く落ちる。ヨアヒムが冷気に凍えながら大きな銀の扉に阻まれた視界を戻す頃には、シャックルはスープを溶き、麺を入れ、もう具を切って盛り付けるだけになっていた。葱、煮卵、チャーシューとニンニク。膝が剥き出しになった脚で蹴って銀の扉を閉めると、また席に戻って頬杖を突き、取った割り箸を歯で割る。殆ど白髪の黒髪、あまりにも歳を取りすぎた外見、何時も曖昧で柔和な表情の完璧で瀟洒な家令の師匠。火は止められたとはいえ、鍋の中で未だ湯は泡を側面にへばりつかせている、あれを零されたら流石に表情を変えるだろうか。
しゃく、しゃくと葱が刻まれ、また香りが濃くなった。ふと、割り箸から突き出た棘が指に刺さる僅かな痛みにヨアヒムは我に帰る、血の色が滲み、一瞬で消え、自分はこんなにも攻撃的な心をしていただろうかと溜息を吐く。疲れた、酷く、自分の中に元あったものとはいえ、前だけ向き続けていることに慣れないヨアヒムは、慣れない感情を持ち続けることに少し疲れていた。じわり、と疲れが溶かれたスープに解ける錯覚を見る。
「……あんたから見て、俺って強いか?」
こっくり、この場にたった一人しかいない回答者シャックルは頷く。包丁で、煮卵三つが六つに、チャーシュー十枚、山の様にニンニク。シャックルは手際良くそれを盛り付けると、ヨアヒムの想像よりもずっとにこやかな表情を浮べ、出来上がったラーメンを出す。生姜の香りが眠い目に染みて、咥えたままの棘をプッ、とヨアヒムは床に吹いた。次は、否定か、肯定か、この人に仕えることしか出来なくなりはしたがおべっか使いではない男は如何答えるのか、割り箸を置いて気だるげな態度を解く。
「俺は焦ってるか?」
ごう、と玄関の扉を叩く風の音が此処まで聞こえてくる。シャックルは、こくり、と衣擦れの音だけで静かに頷いた。そうか、自分はやっぱり焦っていたのかと、答えを求めた以上覚悟をしていた筈のヨアヒムは自分の『もがき』を思い浮かべ、肩を竦める。ヨアヒムの血を吸って先が僅かに赤くなったそれを、何も言わずシャックルは膝を折り、二つ折りにしたティッシュで拾う。顔を上げて立ち上がった彼は、まるで遠くを思い出すかのような目をして、歌うように語った。
「焦って、焦って、焦りまくって、焦り散らして、泥に塗れながら前を向いていられるのなら…………それが、強いということなのでしょう」
その言葉は単純に受け取るならヨアヒムを肯定する言葉に取れるものだったが、本質は違う、これは『前を向いていられる』人間を賛歌する言葉であって、ヨアヒムが先の回答で『強い』と言われたことはあくまでヨアヒムが『今』きちんと前を向いていられたから、つまり、前を向くことが出来なくなれば容赦無くその賛歌は奪われるということ。もしくは、自分で自分が前を向いていないと思ったら、終わり。彼らしい酷く曖昧で、実は辛辣な言葉、どうぞお召し上がりください、と頭を下げたシャックルの表情はもう柔和な無表情だ。
ただ今はその変わった毒のある言葉が心地良く、ヨアヒムは改めて割り箸を手に取り、いただきます、とラーメンを食べ始める。具が大量に乗っているので、先ずは此方から掘り進めていかないと麺がぶよぶよに伸びてしまう。スープの熱でとろとろになったチャーシューは箸で抓むと蕩けて崩れ、息を声にする為に吸った瞬間、れんげが手渡されてヨアヒムは思わず笑う。シャックルの胸元のタイにはタイピンが無い。
「ふふふ……実はこの言葉、元継子の受け売りなんです」
とても賢い子でしょう? と。継子とはアルバトロスのこと、その語る様のあまりにも幸福そうな表情に、そんな顔が出来たのか、とヨアヒムは驚き、そして銀食器に映っていた薄紫色のことを思い出す。ちらりと視線を移せば、そこにあるスプーンに映るのは天井と、丸く歪んだ肌色。この完璧で瀟洒な家令の師匠は、銀にそれが映っていたことを知っているのだろうか。知らないのだとしたら、中々惨い話だ。にんまりと笑いながら、ヨアヒムは黄身が熱で固まる前に、と煮卵を口に入れた。熱いが美味い。
「へぇ……寧ろそれ、あんたの弟子に言った方が良いんじゃねぇ?」
言葉になった答えは無く、瞬間、幸せそうに元継子の話をしていたシャックルの表情がヨアヒムが転げ回る内に酷く見慣れ、自分自身も浮かべることに慣れた、人が人を欺く時の表情に変わって、また柔和な無表情に変わった。流石は完璧で瀟洒な家令の師匠、これはあの完璧で瀟洒な家令も負ける。そう考えながら片手を振って質問を無かった事にしたヨアヒムは、やっと見えた硬めの細麺を一束取り、ふぅふぅ息を吹き掛けて少し熱いまま啜った。もう一度彼に手を振れば、今度はシンクを磨きに戻る。痺れる辛味のある熱いスープに慣れた口内に、熱い麺は大しては熱くなかった。銀食器には鈍い色の影が映る。

見てしまったのか、それとも、見せられたのか。
「おォねェなァ」
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