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負う者の背 [日常編]

此方は浅海由梨奈さんのみ、お持ち帰り・転載可能です。




遠い日におわれた背
登場人物:百眼百手の者 オックス
(なんかなかいいよ)
(貞子攻め)







遠い日におわれた背


暗い、暗い、此処は夫婦の寝室、だったらしいが現在はトイレと医務室に近いという立地を理由にこの屋敷の副当主が利用している部屋。彼は石像の様に動かない、正確にはただ昔誰かが福引で当ててきた安楽椅子に座って眠っているだけなのだが、何分纏いつかせる雰囲気が暗い。きつく寄せられた眉間、強く閉じられた瞼、時折寝息以外の声を上げる口元、露骨な程に悪い夢を見ている。目が覚めて最初に見た光景がそんなものでは、彼女が朝からトンカツだった時のような溜息を吐くのも無理は無い、せめてカーテン位は。薄青く感じる明朝の光、暗い色の間から外の明かりが漏れて、薄く色の付いた光が安楽椅子を半分照らしている。
此処の所、今日も例外無く、朝目を覚ますごとに重くなる体を起こし、彼女は裸足の足音を進める。ひたひた、ひたひた、足音がほんの目と鼻の先まで近付いてやっと、オックスはそういえば彼女の部屋で居眠りをしていたのだと思い出す。最近やっと慣れてきた気配、黒い影に向って、朝食ならちゃんと届いてるよ、と愛想笑いをした後、オックスは目覚める前と同じ陰鬱な表情を浮かべて俯いた。起きていた時、寝ていた時、目覚めた時、と突きっ放しだった頬杖、肘が痺れてオックスは背凭れに寄りかかる。人は死後硬直によって座ったまま死んだり、立ったまま死んだり出来るのだから、ならばこの瞬間のオックスは恐らく生者よりも其方側に近かったのではないだろうか。
彼の頭から生えている頭髪よろしくもじゃもじゃした迷いを頭に乗せ、がっくり項垂れたその様は陰鬱その物、何をそんなに悩んでいるのかと聞かれれば別に何も悩んでいない、ただ、漠然とした未来への不安に押しつぶされてしまいそうなだけで。方法はある、だがオックスは何時まで経っても元気になろうとしない。安楽椅子に腰掛けて目線を下に向ける行為、自分がそれに殺されかねないことを自分自身にアピールする為の。傷ついたことを忘れてしまわない為の目印。世の中には自分の罪から目を逸らすどころか、それにすら気が付けない人間の方が多いというのに、オックスの頬に残った手の平の跡を彼女は指の平で凹凸を慣らす様に触った。
「色男が台無しだ」
自分でも頬の凹凸を指でなぞり、彼女がおどけてみせるとオックスは肩を竦め、困った様に眉を寄せる。水は低きに流れ、人もまた低きにながれるとは良く言ったものだが、彼は現在の天井スレスレ飛行から低く流れていった方が丁度良い程だ。猫の子が舐めるような頬のくすぐったさに首を振って指を払おうとしたが、長い爪が深くめり込み、眠気が覚める。痛みを訴えて震えた眉を見ながら、彼女はざまぁみろ、と心の中で唱えた。どうせ彼のことだ、こうしてまた押し潰されそうになっていることをあの愛しの姫にも言っていないのだろう、聞くまでも無い。昨日、オックスがこの部屋に用も無いのにやって来て、椅子に座って明後日な雑談をしようとしていた時から、また落ち込みかけていたのは察せる。彼に妊婦を抱く趣味は無い。
芯から人に寄りかかる事に慣れない男、危うげな表情で閉じられたままのカーテンを見て、時間の経過が想像以上に早い、と立てた人差し指で額を打つ。眠くなって好きな時にベッドに入ってくるなり、部屋に戻るなりしろ、とは彼女は言っておいたが、朝食のことを知りながら眠っていた辺り、眠りに付けたのはほんの一時間程度前のこと。彼女は時計を確認して、彼が哀れに思えてくる、もうこの時間では眠りに付くより早く出勤の時間がやって来てしまう。テーブルの上には一時間前分しんなりしたサンドイッチ。コーヒーの一杯でも入れてやろう、そう彼女が踵を返そうとすると、目の痛みを逃がす為に目を強く瞑るオックスは彼女の腕を掴む。いや、少しは甘え上手になったのかもしれない。
「……また何を考え込んでいるのさ」
「なんだか、随分と、欠けちゃったもんだな……って」
話すことへの躊躇いに唇を弱く動かし、小さな声で呟いたオックスは、朝が来る事に怯えている。カーテンに揺れ、肩に射す光がまるで体の震えのよう。精神の底が明日を拒む、だから眠れない、眠れば明日がやってきてしまうから。少なくとも裾に縋る寂しがりッ子程度、欠け落ちる物は取り戻したのだろうが、と彼女は握られた腕に篭められる力を確かめる。強くは無いが、簡単に振り払える程のものでもない、相手に対して選択を与える一番厄介な部類。ふっ、と手が離れて、オックスは目を開け謝る。多分反射だったのだろう。それでいい、彼女は膨らんだ腹部を一撫でして空きっ腹を我が子に謝った後、ほんの一抓みの仕返しを篭めてオックスの上に座った。
膝に乗る胎児含む七人分の重量にオックスは呻く、彼女はそれを聞かなかったことにして、しっかり座れるよう尻で膝を慣らす。重い、痛い、彼はこれ以上骨の軋む鈍い痛みを味わいたくないので、彼女の細い太腿をひたひた叩いて止めてくれるよう訴える。タップだ。オックスという名の背凭れに寄りかかり、同じ目線になって見れる物、壁、それだけ。強いていうなら壁紙か。暇を潰す為の小道具も、景色も無い。悩んでいる時は余計な情報をバカバカ頭に詰め込み、過去のことを忘れてしまうという一つの解決策があるが、不真面目に立ち振る舞いながらも性根は生真面目な彼だが、何も視界に入れないことで全てから逃避しようとしていたのか。何の情報も無いことが余計に自分を見詰めさせるとも知らずに。彼女は口を開こうとして、ぱく、と一度口を動かして止めた。
「君達にはとても感謝してる、後悔もしてない……でも、どうしても…………不甲斐無い奴でごめん」
顎の下より少し下辺りにある黒い頭、生々しい感触と底冷えする匂いのする髪、彼女を構成する全ては甘さの欠片も無く現実を連想させるものだったが、朝が来たことへ踏ん切りが付けられない自分には丁度良い、とオックスは目を細める。迷いが消えようと、過去が遠く過ぎ去ろうと、痛みを持って何かを喪失した事実だけは変わらない。穴を埋めようとしたところ、完全に欠けたものを埋められるのは本当に欠けてしまったものだけ、別の物で埋める事は間違いではないが、どうしても過去の形に開いた穴が疼く。爪の硬い感触が指を筋の形をなぞり、彼女は首をかくり、とオックスの胸に寝かせ、肘掛に乗せられた手に長く白い手が重ねられた。
見かけ通りに骨張っていて、それでいてきめ細かい肌と温かい人肌の感触に、オックスが慰められているのかと思い目元を緩ませる。が、彼を待っていたのは甘い睦言でも何でもない、手の甲を襲う強すぎる圧迫感、彼女の彼女らしいアイアンクロウ。その握力はスイカを握って手形の穴を開ける程だ。オックスの喉奥で悲鳴が上がったのを確認して、彼女はしてやったり、と笑いながら赤くなった手を再び包み込む。生理反応から強く瞑られた瞼に薄く涙が伝い、落ちずに消えた。落ちれば良いものを、涙は全てを拭い去ってくれるというのに、と彼女は包み込んだ手が一気に血液を回し、生温く熱を持っていることを意識する。脚で体をずらし、強く抱け、と彼女は自分をオックスの胸に押し付ける。
「一時期シースルーだか言って、やたらに服を肉抜きすることが流行ったことを覚えているかい?」
知ってはいる、流行り真っ只中に青春時代を過ごしていたから知ってはいるが、寧ろ良くそんな昔の事を彼女は知っている。最近張り始めた胸を強く抱くのは痛いだろう上に人として礼儀が無い、だからといって腹を抱くのは苦しい上に道徳的に問題があるので、オックスは悩んで彼女の胸と腹部の間に空間に腕を通した。こんな時でも彼は紳士らしい、彼女は気遣われたことがなんだか嬉しくて頭を押し付けた胸に頬を当てる。血の流れる地響きのような音と感触。オックスはどの程度の力で抱き締めたものかと再び悩んで、胸と腹部の間の空間に腕を通したは良いものの空気椅子状態で腕を浮かせている所を、彼女に腋を締められて膨らんだ腹の上で落ち着く。
カーテンから覗く日の光が随分と色付いてきた。もう直ぐモーニングコールを頼んでおいた完璧で瀟洒な家令かその師匠がやって来て、ご出勤の時間ですよ、と言って彼女が食事を摂らなかったことをやんわり咎めつつ心配するのだろう。体重に足が痺れてきたことをまたタップで、今度は手の平の面した部分が腹部なので本当に弱く知らせると、脚を開く様にオックスは言われた。脚を開く、彼女の最近少し大きくなってきたが未だ小さい尻が脚の間に落ちる、最初からこうすれば良かったのかもしれないが、あれは自分達に何も言ってくれなかったことへの罰なので別。まだ欠片も彼の心は埋っていない、何も解決していないというのに、まるで涙のように全てを連れ去る。朝日とはそんな物。
「欠けて上等。良いじゃないか……えーっと? ……クールビスだったっけ、それで」
手の平に伝わる鼓動の感触にオックスはぼんやり、さっきまで欠片も眠くなかったというのに、瞼が重くなってくる気がして、眼をしばしば瞬かせる。胸に穴が開いて、その穴がずっと埋らない、だからどうした。別に人間は水受けや器ではないのだから、穴が開いていようが、その穴が塞がっていなかろうが、それは決して壊れている訳でも不良品という訳でも無い。それでも人は生きる。手首の上に乗った胸は思ったより重く、質量があって硬くて、内部に乳腺が通っているのだということが解る。何を埋めることを望まれて、それを成し得ないのなら、埋る日まで代わりに全てを許す。と、彼女に言われたような気がして、オックスは手を滑らせた。丸い。
丸くて、温かくて、生きている。流行り廃れは水物、また流行るさ、と彼女はオックスの手を取って手の甲を握る。許す、いや、これは受け入れる、だ。股の間に座っていたものの質量と体温が消えた、ひょう、と風も吹いていないのに風が吹いたように彼女の体温が無くなり寒くなったオックスは、二度目に走る凍えに脚を閉じる。彼女は今度こそコーヒーを煎れて来てくれるらしい、ぼんやりと安心と共に現れた睡魔は、さっきの凍えが貫き、吹き飛ばしてくれた。許すのではなく、受け入れる、自分も相手も中農の温度に妥協させるのではなく、別種の物同士を常温のまま共存させること。オックスは二回瞬きをして、瞼の裏に透けて映った錯覚にハッ、と飛び起き、また寒さから安楽椅子に沈む。コーヒーを煎れて貰ったら、使いが明日を報せ来るまで抱き締め、意味もないことを延々と語り合いたい、その背中。眦に生理的な涙を溜め、手の甲で意外と多かったそれを拭いながら瞬きをすれば、もう普段の彼女。
「君は」
「流行りは過ぎちまって、誰ももう覚えてないかもしれないけど、オイラは結構気に入ってるよ」
オックスは彼女に母の面影を見た。
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